波からの退避
磯平鱸ルアーフィッシングは激変する環境とのサバイバル交信である。
ライフジャケットを着ていれば大丈夫などという慢心はとても危険だ。
しかし、それすら着ずに、
着ても股ヒモを通さずにポイントに向かうという自然をかなり甘く見た姿勢があるとすれば、
それは論外である。
魚からのアタリは確かに誰もを夢中にさせてくれるが、その快感を得るために律すべき自分、揃えるべき装備がある。
そして傾けるべき自然への注意力が要される。
この釣りの本質は実は釣りを介した「行」もしくは「道」なのかもしれない。
2008年11月30日 伊豆西海岸
この海は荒れてはいるが一見このまま行けそうにみえる。
しかし・・
やや深度のあるこの海域はちょっとした水面隆起が危険になる。
ルアーを回収に入ったオーナー。
超早巻きで回収。
もしこの時点で魚がヒットしたらアワセを一発入れ、即ベイルを開き、ロッドを立て、ラインシステムが弛みすぎて岸に絡まないようにサミングしながら大きく後ろに退避する。
(長いロッドはここでも有利になる)
そして2〜3波続く大波をかわし、寄せに入る。
一発でいいからしっかりとアワセが決まっていればクラッチは簡単には解けない。
(追いアワセはアタリに即応できなかったときのごまかしアワセである)
ルアー回収完了。
そうは見えないが見立てどおりこの波は危険。
足元を良く見て退避!
安全な方向になら、見立てがはずれてもかまわない。
逃げるのをためらう理由はまったくない。
カメラの画角は変わっていない、冒頭の画像からは想像できない変化である。
冒頭の立ち位置にいれば飛ばされ、倒される可能性がある。
この波で海側に流されることはないと思われるが倒されれば手や肘を骨折する可能性はありえる。
ここはあらかじめ決めていた退避位置。
予想より厚い波を感知したらもちろん、この上の段に駆け上がる。
そのときロッドをどこに放るか壊れにくい位置や置き方も考えておくべきである。
次の一波がどうなるか飛沫ごしに観察。
もしもっと大きなのが来ると判断したらこの上の段に上がる。
安全な位置にあるカメラも飛沫を受けた。
カメラマンはドキュメント優先なので映像を撮りおえるまで待ちに待って手をかざした。
カメラは防滴しているので大丈夫である。
カメラマンと同行の近藤さんの様子を観察するオーナー。
セーフである。
このような常に変化してゆく環境に対応する中で、千載一遇のチャンスに出会える。
もしどこか一箇所でもゆるい部分があれば、
それはノーヒットやバラシにつながるだけでなく、
いつかは危険を引き当ててしまうことになる。
このヒットの意味と感動は、そんな理由からも大きいものになる。
追記
安全な装備はそれだけで安全を守れるものではない。
それを装備し、謙虚な気持ちで海に遊ばせてもらうのだという気持ちが身を守る。
ライジャケ?
んー・・まあいいや、という「ゆるい心構え」が危険なのである。
タモもまた50φ以下のタモはせっかく持っていっても磯では他の取り込みアイデアをさえぎる有害なタックルになる。
というのも50φ以下のタモで獲れる個体は小型に限られ、それらは抜き上げが可能だからであり、肝心な大型はまず十中八九そのネットでは獲れないからである。
さらには60φ以上の枠でも荒れた海ではたとえ入れるのに成功しても揚げるまでに柄をへし折られる。
柄は5キロ以上のランカーを入れ、波を受けても折れないようには作れない。
空網でさえ簡単に折れる。
メーカーは言わないが豪竿を謳おうがどうしようが構造上折れないように作ることは不可能なのである。
本当に獲りたいランカーになればなるほどまず柄を破壊され、ネット枠はもちろんラインから先のすべて失うことになる。
仮に獲れたとしてもそれは幸運でしかないのだ。
宣伝は抜きにしても磯でのタモには60以上のタモ枠+スネーク・スタビライザー(+ロープ)は必須となる。
アタリや引き合いは確かに素晴らしい。
麻薬的ですらある。
しかし取り込みまでの全プロセスを解決してからキャスティングをはじめるべきだ。
なぜなら最高のターゲットを掛けておきながら手段を失えばアングラーは命の危険にさらされるからである。
少なくとも貴重なターゲットは針とボディーに拘束されたまま岩に叩きつけられる事になる。
港湾も安全とは言えないが、磯は格段に困難な問答無用のフィールドである。
キャスト前にポイントに立ち、そこで取り込みの手立てが見えないときルアーを投げ込んではならないのである。
丸腰のスニーカーや小さな普通ネットで磯に立つことは無謀である。